先輩の声--渡邉 紘人
もちろん仕事は大変です。忙しいですし、プレッシャーも感じます。たとえ体が疲れていても、気分が優れなくても、ひとたび教壇に立てば、やる気に溢れた学生たちに負けない声を張り上げて、学生以上に必死に頑張らなければなりません。
しかし、その大変な職場に向かうことが、僕は好きです。仕事というのは、たいてい大変なものなのです。それでも職場に向かえるのは、職場の雰囲気の良さのためでしょう。
まだ仕事に慣れなくて、不安にとりつかれながら仕事をしていたころからも、役割を与えられて、少しずつ作業を任されてきました。逃げ出そうかと思ったことも、正直なことを言えば何度かあるのです。
ですが、職場の先輩たちは、時に厳しく僕らを指導してくれましたし、必死になって頑張れば、後ろで支えてくれていたのです。その安心感が、職場に向かう足を止めさせませんでした。
同僚とも関係はよく、職場の上司とも仲良くしてもらっています。休日になれば、夜になればご飯を食べに行き、カラオケにも行き、酒も飲みます。総経理のお宅で夜更けまで一緒にいることも少なくありません。連休には小旅行に行ったりもします。本当に仲が良いのです。
しかし、それをなあなあの関係と勘違いして職場に持ち込む上司はいません。仕事に対しても、社会人としてのマナーに関しても厳しく指導してくださいます。叱られる僕を見たよその会社の方に、ずいぶんと絞られたねえ、と声をかけていただくこともあったほどです。
ですが、その言葉にこめられた優しさを、僕は知っています。これだけ上司に対して信頼を寄せることができて、これだけ素直に、どんなに厳しい言葉も受け入れられる関係は、この職場が誇ることのできる、素晴らしいものだと思います。
この職場で日本語教育にたずさわることができてよかったと思う理由は、それだけではありせん。それは、学生のやる気の高さです。
ここに来ている学生は全員(ほとんど全員ではありません。全員です)が、それぞれの夢を胸に、本気で勉強をするために来ています。そのため、大学の授業で、必修だからしかたなく取ったとか、結局のところ日本語なんかできなくても特に困らない、と考えているような学生はここにはいません。
しかしこの状況は、学生の学習意欲を挙げることに苦心しなくていい、という程度の気楽なものではありません。教わる側は、自分が得られるだけのものを全て習得しようという気迫で30人ほどが、教師の前に並んでいるのです。迎え撃つ(まさにそれほどの心構えです)教師は、一人でしかも学生以上のやる気を持たなければならないのです。
これは、確かに恐い状況ではあります。しかし、教育者にとって、これほど幸せな状況はありません。学生たちは誰一人として、教壇に立つ者をなおざりにすることはありません。眼を見開いて教師に注目し、教師の一言一句に敏感に反応するのです。
僕たちは、その学生たちに誠意を持って応えるために、魂を削って授業準備に取り組み、授業に臨みます。どこぞで、これといってやる気のない学生を相手にのんべんだらりと教鞭をとるのとは訳が違います。もちろん、ここで得られる経験も段違いです。
学生たちは教室の外でも、教師を教師として扱ってくれます。それだけ、ここでも教育を信頼しているということだとおもいます。
職場の上司や同僚との関係の良さ、そして学生の意欲の高さ。これらが僕を今日も、これからも働かせていくのだと思います。